ピアノの音がする

何度も書いていることだけれど、私自身はピアノを習っていたわけじゃない。でも、ピアノに対する憧れはとても大きくて、大きすぎるせいで、いくつかの不都合なことがあったりしてきた。

これもその中の一つなのだけれど、子供の頃、私にとっての「ピアノの音」というのが、私の頭の中(もしかしたら、身体の中)にはっきりあって、それは一体どこから来たのか不思議でならないのだけれど、ピアノの個体によって音が違って、ピアノの音がしないものがあるのが気になってしかたなかった。バイオリンだと音が違うのは感覚的にわかっているくせに、なぜか、ピアノの音はこうでないとダメ、というのがあった。あれはいったいなんだったんだろう?

楽器屋さんにいくとピアノがたくさん置いてある。弾けないけれど、鳴らしてみる。で、これはダメ、これはいい、そんなことを一人で勝手に考えながら、ピアノの間をぐるぐる歩いていたこともあった。私が楽器屋さんに行く、ということは、バイオリンの譜面だか、弦だか、松ヤニだかを買いに行っているわけなのだけれど、それでもなぜかピアノを触っていた記憶がある。多分、小学生のころだろう。ピアノでも、くぐもった音、言い換えれば丸くて優しい音のピアノは好きではなくて、透明感があってすっきりとした音が出ないとイヤだ、なんて、買うわけでも、弾くわけでもないのに思っていた。あれは、なんだったんだろう。

で、昨日、劇的な音の変化を遂げたうちのステレオだけれど、ピアノがピアノの音で鳴っている。私の思うピアノの音で鳴っている。凄いことだ、と思う。だいたい、今まで一度だって、ステレオで聴いていて、そう思ったことなんてなかった。生のピアノでさえ、これはピアノじゃない、だとか思ってきたのだから、偏った聴き方をしているのかもしれないけれど。ポリーニショパンも、グールドのバッハも。そして、今日初めて聴いたシフのゴルドベルクも。それぞれに全部違う音だけれど、全部、ちゃんとピアノの音がする。

    • -

Andras Schiff、Goldberg Variations。悪くない。いや、とてもいい。いや、いい、悪い、じゃなく、期待を裏切ることなく、とてもバッハらしい。いや、違うか、私のイメージしてきたとおりのバッハらしい。それでいて、美しいだけの退屈なものでなく、「眩しい」という言葉がぴったりな気がする。力強すぎることもなく、へなへな過ぎることもなく、とにかく忠実でありながら、平凡ではない、実はそれが一番難しいのだろうなあ、と私にも想像できる、正しい演奏の一つなのかもしれない。ただ、もしかすると、正しすぎるかもしれない、今日の、ちょっぴり屈折している私には。

    • -

冬の午後は、こういうピアノで過ごすのも悪くない。ああ、それにしても、いい音だなあ。ほんと、幸せ。