例えばサッカーとか

世の中は、ワールドカップ(なのか、それも実は不明なんだけど)サッカーでわいている、らしい。私は興味がないので、全然知らないのだけれど、昨日の夜に、日本とどこかの国の試合があった、ということくらいは知っている。

私の家には、テレビがなかった。今は、とーっても小さな小さな(MacBookの液晶よりも小さな)テレビが一応ある。のだけれど、それさえ、スイッチが入るのは、かなりレアな出来事。しばらく前に、ディスカバリーチャンネルを見たいからテレビを買おうかなあ、なんて思ったけれど、やっぱりあの物としての圧迫感に耐えられる気がしなくて、こんな選択になった。んで、結局はケーブルテレビの契約の方法などなどがわからないので、前に進む気がしない。

で、サッカー。私は興味がない。いや、サッカーだから、じゃなく、スポーツ観戦という趣味がない。興味がないってことは、それについて意見を求められると困るけれど、人が騒いでいるぶんには、別段なんの感想もない。ただ、それが騒音として迷惑だったりすると、ちょっと困る。

今回、この騒ぎでー私にとっては単なる騒ぎ、それはそれ以上でもなく、それ以下でもないー思い出したことがある。

子どもの頃から私はテレビをみなかった。もちろん、家にテレビはあって、普通の扱いを受けていたと思うけれど、物心ついた頃から、テレビは私の友達ではなかった。もっとも、母親によれば、物心つくまでは見ていたらしい。手塚治虫アニメとか好きだった、みたい。で、小学校に通っていた頃などには、友だちとの話題にテレビ番組の内容が出て来たりすることも少なくなかったはず。もちろん私はその類の話には参加できずだったけれど、だからと言って疎外感を感じたこともなかったなあ。その話題のときは、へー、とかって聞いていればいいだけだったんだろう。

ということで、今回のサッカーのことも、同じ感じだなあ、と思ったのでした。へー、日本チームは頑張ってるのねー、とか。

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興味のないことは、そのことに興味をもっていることと同じことだと思う。

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これは、好き、キライの話じゃなく、それよりももっと遠い次元のこと。