休日後半

この前撮ってもらった写真の自分が、なんだかとても暗い影のある顔をしていたことが気になっていて、と言っても多分気になるのは自分だけなんだろうけれど、とにかく、鬱陶しい髪を切りたくなって、美容院に行ってきた。いつもの南船場、今日は寄り道も何もせず、とにかく美容院にいって、髪をばっさり切ってもらって、そのまますぐ戻ってきた。そうしなくては、夕方の渋滞に巻き込まれて、それはそれは酷い目に遭う、ということを学習したので、今日の私の行動は無駄がなかった。

髪が短くなって、すっきりした。気分もちょっぴりだけ変わった気がする。ただ、少し前に、本当は短くしたかったのだけれど、なんだか中途半端な髪型をしてしまっていたせいで、本当にしたかったスタイルにするにはちょっと難しく、まあ、あと1ヶ月もすれば、そんな感じにできるでしょう、という妥協点なのだけれど、切る前よりは格段に気分が軽くなったので、いいことにしようと思う。鏡に映る自分の姿がどういう感じになっているか、というのは、日々の元気にとても大きな要素になる、ということは、やっぱり私も女なのかな、と少しだけ思う。

帰り道にいつものモールに寄って食材を買い込み帰宅、今、おかずの準備はだいたいできて、ご飯が炊けるのを待っているところ。何か音楽を、と、ラフ2を鳴らす。いつものテミルカーノフ。この前、スピーカーを直してもらったときにも一部分だけは鳴らしてみて、ああ、いい音になってるよー、とうっとりしたことを思い出した。以前にも聴いてみて、むー、なんだか鳴らない、と思ったディスクを聴き直してみるべきかもしれないな、と思う。このラフ2も、こんなには鳴っていなかった。好きな演奏だったから、それほど気にしていなかったけれど、こう鳴るようになってしまうと、ああ、ちゃんと鳴らせてなかったんだなあ、ということを痛切に感じる。きっと他のディスクでもそうなのだろうな、と思う。

昨日鳴らしてみた、某ステレオ誌推薦のディスクたち、推薦文の中に、「この録音のよさをちゃんと鳴らそうと思ったら、相当な装置も必要だろう」みたいなことが書いてあって、むー、ちょっとそんなこと言われてもなあ、と思ったのだけれど、きっと、私の今の装置の状態は、いい線行ってるんじゃないか、と思えるくらいに鳴っている。でも、これだけ、同じ装置でも、いろいろな要素で違ってくるというのを見てきていると、あまりの複雑さ、あまりの奥深さに、ちょっと身がすくむ思いがする。逆に、とてもいい装置を持っている人でも、うまく鳴らしきれていない場合だってあるかもしれないなあ、とも思う。そして、もしかしたら、この装置も、もっといい音で鳴るんじゃないか、と、今、一瞬だけ考えたけれど、いや、それは泥沼というものだ、とすぐに気づいた私は健全だろう。

今の音には、相当満足している。でも、いつか、もしかすると左のスピーカーが、この前の右と同じようにびびり出すかもしれない。同じように保存していて、同じように急に鳴らし出したわけだから、どこかのネジが、同じように緩んでもおかしくはない。その時は、裏の蓋をあけて、増し締めしなきゃならないのだろうけれど、それが私に同じようにできるか、というと自信はない。その時に備えて、なにか他のモノで練習しておこうか。ネジを締めたりゆるめたりして訓練しておくといいかもしれない。でも、きっと、同じようなスピーカーで経験をつまないと、いくらネジで練習したところで意味がないんだろうなあ。

だなんて考えているうちにご飯が炊けた。ラフ2はまだ1楽章だけれど、しばらくBGMになってもらって、ご飯にしよう。