日曜の朝

結局、いつもと同じ時間に目が覚めたけれど、気分はいい。コーヒーを飲みながら音楽を流し始める。少し時間がたってから、昨日の夜、あとほんの少しだけ残してあった読みかけの本を最後まで読む。

ここへ引っ越してきてから半月がたったけれど、このところずっと、本と、音にまみれている。ずっと部屋にいても息が詰まる感じがしない、というのは、こんなにも時間を豊かにすることだったんだ、と認識。都会の狭い部屋にいたころには、集中して本を読むことならできたけど、なーんとなく、ぼーっと流し読み、みたいなことは、そんなに続けてすることはできなかった。音楽にしても同じで、強制的にあっち側に意識を持っていってくれるような音楽ならいいのだけれど、こういう空気の中にとけ込む音楽というのは、長く聴いていられなかった。そこにある空間に、それだけのキャパシティがなかったのかもしれない。

この部屋は、全体的に長方形の部屋で、今は短い一辺の壁際にソファを置いている。ソファに座ると、目の前は空間が広がっている、という形。そして、視界の両側、東側と西側に窓があって、東側の窓は2つあってその両方がかなり大きくて、西側のは窓というか扉がガラスになっているので面積は小さいのだけれど、とにかく、自然の採光がたっぷりあるのが、とてもいい。建物が少し古くてフローリングなんかも傷んではいたり、水回りの処理が一昔前風だったりはするのだけれど、新築のつまらない箱に住むよりはずっと人間らしい気持ちになれると思う。部屋の中自体も気に入っているけれど、ここは外からみた感じも、入り口の雰囲気も、悪くない。マンションの玄関を入ってくると、実はジャズが小さな音で流れていたりして、それも唐突ではなく、なんとなくその空間には似合っている気がする。BGMを流しているマンションは結構あるけれど、ここのはいつも同じ感じの、まるで地下にあるバーで流れているとぴったりきそうなジャズ、そのエントランスを通って、そこからは階段を3階までとんとんと上がっていく。今のところ、その感じも気に入っているし、3階までというのは案外ストレスにならない程度で、もしかすると、私の弱点の一つである「膝」にとっても、ちょうどいい具合に周りの筋肉を強化できていいかもしれない。

それにしても、人間、こんなにも生活をする「箱」に左右されるものだとは、思っていなかった。環境によっていろいろ気分が変わるのは経験済みだったけれど、それ以上に、この「箱」という要素も大きいのだなあ、と今回は認識している。これでもし、同じような地域であっても、新築の遮蔽された、狭い空間に引っ越していたら、これは味わえなかった感覚だと思う。多少大変な思いをしたり、自分自身が危機的な状態であった時期でもあったけれど、この時期に引っ越ししてしまえて、よかったと思えるのだから、これも「新しい扉が、むこうから少し開いた」という状況なのかもしれない。あとは、自分が自然にそこへ入っていけばいい。考えてみれば、いつも、転機というのはそういうものだったのかもしれない。

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さて。今日はあと一冊手元にある本を読み切ってしまおう。さっきやっと終わりまで辿り着いた本よりも、こっちのほうを本当は読みたかった。ただ内容がちゃんとある本だと(比較すると)思っているので、何度もブレイクを入れるような読み方はしたくないな、と思って後回しにしていた。今日なら少しまとまった時間を落ち着いて取れる気がする。この「落ち着いて」というところ、時間的に、というのではなくて、気分的に、というのが私には大切。