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今回の「妄想」には、実は自分としては、スタートがあった。”so ordinary but lovely pieces"ーもちろん、いつも私の写真は(というか、いつも私の人生は、と言ってもいいのだけれど、ちょっと小難しいか)つまらない普通の、だけどとても愛おしく抱きしめたい瞬間を、しっかりと意識することが目的なのだけれどー

臨死体験というものを聞いたことがあるだろうか。私自身、それに近い感覚を、これまでの人生で二度体験した。一回目は20歳の頃、まあこれはある意味、本当に臨死に近いのだけれど、病気で高熱を出して意識を失っていくその瞬間。二回目は2年前の手術の時の全身麻酔で意識をなくす瞬間。面白いことに、その両方に、同じ感覚を思い出すことができる。

意識が遠のくと同時に、目の前が真っ暗になる。ただし、これは視覚がなくなるのとは違うのかもしれない。真っ暗という闇が認識できていて、目を閉じているのと同じ状態。そしてその後、音が聞こえなくなって、それからカラダにかかる重力を感じなくなる。つまり、カラダが宙に浮いて、いや、浮くというよりは加速度つきで空中を宇宙に向って飛んで行くというかそんな感じで、なにか時空のトンネルのようなものに、ごーーーっと吸い込まれる感覚。その時、真っ暗な闇の中に、視覚のカケラが一緒に飛んでいるのが見える。それが、今回の「妄想のordinary pieces」。

一緒に飛んでいたのは、壁掛け時計、花びら、私自身のマニキュアした爪、水の入った容器、夕日のあたる部屋、、、そんな何でもないイメージの数々。その時に「不思議の国のアリスってこんなところをくぐったのかな」なんていうことも思った。不思議な体験だけれど、多分、これはまた私の命が本当に消えていくときにも、同じ感じじゃないのかなあ、と思っている。

ただ、その想像は、決して恐怖だとかイヤな感じだとか悲しいだとかいうものではなく、なにかとてつもなく柔らかく温かな体験のイメージ。死んで行くということに対して、私はそんなイメージを持っている。20歳の「臨死体験」のあとに、私は「自分が死ぬこと」を明確に意識することになったのだけれど、その時も、一瞬の大きな恐怖のあと、言いようのない大きなものに抱かれたようなー白くて大きくて私の上からかぶさってくるような、そんなイメージを持ったのだった。そして、その白くて大きくて、というイメージは、その後また、最近になってある人の絵の中に見つけることができたりしたのだけれど、それはまた、次の機会に。

「密売妄想」。NOMAにて、次の日曜日まで。