3.11

3時前、ケータイに東京方面からメールが入る。「すごい地震。僕は大丈夫。」このあたりも揺れたらしいのだけれど、私はわからなかった。驚いてすぐ電話を。つながった。とりあえず、声を確認、安心したけれど、テレビの報道であまりに衝撃的な映像が続き、その後大丈夫だろうか、と心配になる。メールをしてみる。返事が無い。電話をかけてみる。通じない。ああ、そうだった、あのときも、すぐは電話が通じたんだ。仕事の合間にテレビで情報を見ながら、いろんなところで、本当に大変な事態になっていることを知り恐ろしくなる。涙が出てくる。あの人は大丈夫だろうか?そしてあの人の大切な人は?海岸の津波は?自分が被災したときよりも怖い。身体が震える。通話はダメ、メールも遅配、そうだ、ツイッターだ、つながるならツイッターを見て、とメールしてみる。しばらくしてツイッターに「駅を出て、家に向かって歩き出した」というツイート。人も車も大渋滞らしい。寒くて風がとても強い。ああ、歩ける距離でよかった。とはいえ、多分、距離からすると2時間半くらいかかる。停電は大丈夫だろうか。ガスは?水道は?コンビニの食べ物はなくなっていないかな。靴はどんなのをはいているんだろう。心配することが次々と出てくる。あの日、大阪市内から実家まで、普段は車で30分の距離に9時間かかったことを思い出す。そうしている間に「ついた」。とりあえずよかった。電気もガスも水道も大丈夫、電話はつながらないままだけどスカイプはすんなりつながった。インターネットに近いことは、こんなときに助けになった。あのとき、一番怖かったのは、一人だ、ということだった。通信手段がダメになるというのは、こんなに怖いことなんだ、と思い、まだ高価だったケータイ電話をすぐに入手したんだ。余震が続いているはず、怖いはず。でも、とりあえず、無事でよかった。

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テレビでは、恐ろしい光景が放映されている。インターネットの海外の新聞のサイトでも、数々の報道写真が。事態の大きさが、きっと、一夜あけて、また浮き彫りにされていくのだろう。

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東京も大変だけれど、もっともっと大変なところがある。私に、今、できることは、祈ることだけなのだろうか。