1年

お墓参りには、行かなかった。

行きたいような、行きたくないような、複雑な思いで、いろいろと考えていたとき、ふと思った。

1年って何だろう?

日本は四季があるので、この空気の感じ、日ざしの色、風の冷たさなんかで、季節が巡ってきたことを知る。

もし、四季がなかったら?

そんなことから考え始めて、命日ってなんだろう?誕生日とどうちがうんだろう?そんなことを思った。

誕生日と、命日と、生命にとって、どんな意味があるんだろう。時間の流れの中で、ひとつの命が現れて消える。現れるのも、消えるのも、意味を考えてみれば、変わらないかもしれない。「私」が生まれて、「私」が死ぬ、そう考えてみると、どちらも、「私」の個人的な思いとしては、意味は変わらない。ただ、「私」の周囲の人たちにとっては、「私」が現れて、そして、去って行く、そんなふうに見えるだろう。

なんだかうまく表現できないけれど、今日、お墓参りに行くよりは、ひっそりと、私一人の空間で、にゃーに思いを馳せているほうが、私としてはしっくりくるなあ、と思ったので、お昼休みは部屋で一人、じっと、にゃーを思っていた。

もう、今は、どこにもにゃーはいないけれど、そして、私は寂しいことには変わりないけれど、これは、1年であっても、10年であっても、きっと何にも変わらないし、この思いは、「私」がいなくなるときに、一緒に消えていくのかもしれない。