伽羅のお線香

少し前に手元に届いた、伽羅のお線香の包みを、ようやく開いた。以前、清水の舞台から飛び降りるつもりで手に入れた伽羅のお線香よりも、一段、上等のもの。なんだか勿体なくて包みも開かずに眺めて数週間。

木箱の蓋をとると、もうそれだけで香ってくる。ああ、伽羅の香りだ、久しぶりだなあ。この前のお線香を全部焚ききってしまってから、他のお線香があるというのに、なんだか焚く気になれず、お線香を焚く、ということ自体が久しぶり。すっかり香りを焚く=伽羅の香り、になってしまっていることが恐ろしい。

わくわく、というよりも、どんな香りがするのだろう、前の伽羅とはどう違うのだろう、と、かなり神妙な気持ちになって、火をつける。うっすらと煙がたちのぼって、すうっと香ってくる。ああ、伽羅だ、とうっとりする。困った。やっぱり前の伽羅とは、全然違う。透明感と甘さだけではない、圧倒されるような深みと、ぴりりと効いた苦みがある。いや、困っていないで、この香りに浸っていればいいのだけれど、今度こそとりこになってしまいそうな自分が怖い。

休日の朝。暖房の効いた鉄筋の部屋で焚くにはちょっと似つかわしくない、凛とした香り。エアコンを止めて、窓をほんのすこしすかせて、冬の空気を部屋に流してみる。そうすると、一層、香りが鮮やかに際だって感じられる。冬はつとめて、などと、ちょっと遅すぎる朝にそんな一節を思い浮かべている自分がおかしい。

休日。今日は木曜日。