新しい仕事

迷わずに辿り着けるだろうか、とちょっと心配だったのだけれど、曲がるところを一度間違っただけで到着、坂を登っていった保育園の奥に、そのホームはあった。

古い日本家屋を改造して作られたその施設は、手作りの看板に、手作りの表札、畳の部屋のふすまをとっぱらった広い共用スペース、そこには仏間、そして縁側、外には元植木屋さんだったというのが今でも伺える、立派な松の木や、サザンカ、かいづかいぶきの木、いろんな種類の庭木がたくさん植えられた広いお庭、岩の上にはかえるの置物、そして、石造りの灯籠、ここはお散歩するのにもってこい、と思っていたら、「この庭がね、徘徊するのには、もってこいなんですわー」と和尚さんがおっしゃる。

そのホームは、すぐ裏手にあるお寺の和尚さんが開設されたところで、とてもユニーク、既成の施設とは全く違ったスタート地点から始まっていて、いらなくなった植木屋さんの古い家を譲り受け、そこを改造して利用、職員も近所のオバチャンだとか専門知識なんて何それ状態の人たちが、とにかく和尚さんと頑張ろう、みたいな雰囲気で始まり、施設としての建築基準がダメだと言われては改装し、急な階段はどうだろう、と案じていても結局はそこで転倒する人はいなくって、その辺の平らなところでこける(転ぶ、の大阪弁?)、という、人間、注意すれば転ばないんだなあ、という新しい発見があったりらしく、とにかく業界でもかなり珍しいケースで、見学者がひっきりなしらしい。でも「普通の家を見にきているようなもんですわー」と和尚さんおっしゃる。職員と滞在者がつかみ合いの喧嘩になったり、感情のぶつかり合いがあったり、ワケ解らずに殴られてしまったり、それはもう、福祉原理だとかからほど遠くて、普通の大家族が暮らしているのと同じようなもの、そんなの見学してどーするんでしょうね、と笑って話していたけれど、普通にしているってことを感じて帰って行ったら、それが収穫なんだろうなあ、なんて考えたり。

高齢者福祉という視点で見ると、不合格なところもたくさんあるかも知れないこのホームだけれど、体温も感情もある人間が寄り添って静かに自然の中で暮らしていく、という、本当に普通のことだけど、福祉の現場で忘れられがちなのかもしれないことを、そのまま力むこともなく実践し、毎日を過ごしていっている、という雰囲気が伝わってきて、ああ、私は本当にご縁に恵まれているなあ、と嬉しくなった。

これから始まる新しい仕事、きっと色々あるに違いない。認識してもらえなくて、急に殴られたり、怒鳴られたりして、私は泣き出してしまうかもしれない。なかなか思うようにやりたいことが進まないかもしれない。でも、それでもいいんだろうなあ、と思えるし、私は私にできることを一生懸命しよう。