いつになく、落ち着いた気分です。不思議。

昨日の微妙な凹み事件ーまあ、これについては、本当に「微妙」な事だったりするーについて、色々と考えたりしているのだけれど、それでも、落ち着いている。私には珍しいことかもしれません。

一つの事が起こったときに、そこから思考がどんどん広がって、放射状に広がった思考がいろんなところでシナプスするみたいに繋がって、一つの現象からいくつもの考えが浮かぶ、というのがいつもの私のパターンなのだけれど、起こっている現象は同じでも、受け取り側、最終末端の部分での自分が強化されていれば、動揺は案外少ない、というのがよくわかりました。考えるから動揺するんじゃなく、最後の受け皿が脆弱だからこそ動揺する、そんな感じ。

でも、それを感じられたのは、大きな収穫だったかも。今までは「考える私」を否定してきていたから。そして、考えることを止めることなんてできなかったから、どうしようもないんだなあ、と諦めていたから。違うんだ。考えてもいい。ただ、それを受け止める地盤をしっかりさせておけば、それで大丈夫なんだ。それが、私にとって、悲しかったり苦しかったりすることであっても、考えることは、私には必要なんだ。今もしっかり考えて、だからこそ、落ち着いていられる私がここにいます。

    • -

さて、今日も、診療の合間に事務仕事ごりごりの一日になりそうです。昨日の帰り際に、それについてのラフ案を父に軽く提示したので、牛も一歩踏み出せた感じになっています。頑張らなきゃ。