「おぼうさん、はじめました。」

昨日、紀伊國屋で買ってきた本は、これ、「おぼうさん、はじめました。」

で、ぱらぱらと読みすすめているところなのだけれど、このところ、「お坊さんになる」ということに興味がある私にはある意味、Making a BOZU本として読める。帯の「赤門の次にくぐったのは仏門だった!?東大新卒、飛び込みで就職したのは都心のお寺。「無線LAN完備の寺院内カフェ」「築地本願寺にて2千人動員フリーライブ」等の活動を通してお寺の新たなカタチを模索する日々。若干26歳の新米僧侶はこう叫ぶ「坊さんは職業じゃねぇ、生きざまだ!!」という文章は、必ずしも内容を正確に表しているとはとても言えないけれど、まあ、帯ってのはそんなものなんだろう、とも思う。私はそういうのは嫌いだけれど、目につくところにはセンセーショナルな言葉を置くという暗黙の了解がある、という世の中の構図の一つであるので、仕方ないのだろう。

実際の内容はもっと素朴で、お坊さんになるまでに通っていく道のことなんかが日記風に綴られていたり(実際、これは日記としてブログ形式で公開されていたのだろうな)、その後の日々の活動や考えたことなんかが、等身大の言葉で語られている、というところは、「仏教関連の本」としては珍しい。そっかー、お坊さんの資格(?)みたいなのを取るためには、研修をうけなくちゃいけなくて、それに参加するには髪を染めたり化粧をしたりしちゃいけないんだなあ、だなんて、枝葉末節が私には面白い。そして、著者が、お坊さんにできることって何だろう?と一生懸命に考えているところなんかは、日々のあれこれに悩まされ、私がもがいているところと共通点があって面白い。

一つ心に響く言葉があった。「せっかく人間として生を受けながら、その生を多面的な感性をもって味わっていくことを放棄して、お金という空虚な安心の中で日々を過ごしてしまったら、それこそリスキーな人生ですよ。」保険営業マンと、著者のやりとりの一節。まあ、お金どうこうの部分はいいとして、多面的な感性をもって生を味わうことを放棄することなくいたい、というのが、いつも私が思っていることとリンクした。

この本を書いた人が所属するお寺は東京にある。色々とおもしろい活動をしているみたいで、興味津々。今度東京へ行く機会があって、時間が作れそうなら、一度訪れてみようか、と思う。LANのあるオープンテラスがあるらしいから、行ったときには、そこからここの更新をしようかな。

この本、最初読み出したときに持った「感じ」と、読み終わったときの「感じ」に大きく差があった。日記形式で、それだけ、その歳月で書いている人がどんどん変わっていったということなのだろうな。どちらにしても、興味が膨らんだ。この方向でしばらくアンテナを広げてみようと思う。