ステレオ第一歩踏みだし中についての考察

今のステレオが私の部屋に来てからというもの、私の生活は大きく変わったと思う。ここまで変わるだなんて、正直、予想もしていなかったけれど、もう逆に、今となっては、本当に今まではどうやって過ごしてきたのだろう?と思うくらい、ステレオがある暮らしが自分の暮らしとして馴染んできてしまっている。

音楽はいつも身近にあったけれど、そして、私の場合は、再生装置が大した音を出してくれていなくても音楽を楽しんできたつもりだったけれど、その上、それで十分でそれ以上のことは望む気もなかったのだけれど、ああ、それは間違いだったなあ、と今、深く思う。だけど、どこでそう思い込んだんだろう?と考えたとき、その出発点は、昔聴いた、今、ここにあるTANNOYのスピーカーの音じゃなかったのか、という気がしてきた。

私が初めてTANNOYのスピーカーの音を聴いたのは、今から32年前のこと。それまでは、本当に小さなレコードプレイヤー(モノラルでプレイヤーにスピーカーのようなものが組み込まれている、今考えるとおもちゃみたいなもの)でしか、レコードは聴いたことなかったはずだ。そのおもちゃでも音楽を聴くことは楽しかったし、私自身は不自由を感じていなかった。まあもちろん、それ以上の音があることなど、子供の私には想像もできるはずもなく、それ以外の音楽といえば、自分が弾くバイオリンの音、レッスンで聴く他の子たちの音、先生の音、そして、オケに入ってからはオケの生の音(セカンドバイオリンの位置で聴くオケの音)だったわけで、生の音と、再生の音では大きく差があって当たり前だった。

で、その後、元々オーディオに興味のあった父が、家を建てて引っ越したことを契機に、ほとんどリスニングルームのような部屋を応接間風に仕立てて作り、そこに入ったシステムの中にTANNOYのこのスピーカーがあった。その頃は、私がオケに入ってその楽しさを知りはじめたころでもあったから、きっとオケで練習している曲を一生懸命に何度も何度も聴いたのもTANNOYのスピーカーだったはず。もちろん、それまで聴いていたおもちゃのプレイヤーとは次元は違ったけれど、生の音に毎週ふれている私だったからだろうか、私は、父に向かって、「このスピーカーの音は、こもっている感じがするし、すっきりしていないからあんまり好きじゃない」だなんて、今から考えるととても生意気なことを言っていた。その後、父はヲタク心を満足させるためか、自分でスピーカーを作ってそのTANNOYの横に置いた。二つのスピーカーはいつでも切り替えることができるようになっていて、私はそのスピーカーから出る音を聴き比べる、なんてことを子供のくせにしていたわけで、その上で、私は父自作のスピーカーの音のほうが好きだ、と感じていたのだから、私のTANNOYに対する評価は低かった。

今思えば、父の作ったスピーカーは、シンプルに解りやすい音がしていたのだと思う。でも、決して、これは生よりいいんじゃないか、生みたいにいいんじゃないか、だなんて思うことはなく、やっぱり生とは全然違うものだという思いは変わらず、結局そこで私が刷り込まれたのは、「生じゃなきゃ、何でも一緒、だって、聴いている音をトリガーにして、結局は自分の想像力で補って聴くのだもの」というような、その後の私の音楽観に大きく影響することだったんじゃないか、と、今になってみれば思い当たる。

そのTANNOYのスピーカーで、もう一度音楽を聴いてみよう、と思った時、実はちょっとした不安があった。またあのすっきりしない音が出たらどうしよう。でも、アンプが違うわけだし、きっと違う音がするんだろう。でも、でも・・。今回、システムを考えてくれた人への信頼感がなかったら、いくらTANNOYのIIILZがうちに無駄に放ってあるから、といって、本気でステレオに手を出そうだなんて絶対に思わなかった。まあ、その前に、その人に出会わなかったらステレオが欲しいだなんて思わなかったかも、いや、あの本に出会わなかったら・・って、それも同じ意味かもしれない。そして、その信頼感だけで突っ走って、実際にシステムを繋ぎ終わって、無事に音がでたとき、実は私は大泣きに泣いてしまった。素晴らしい音で感動したこと、ここまで導いてもらったことへの感謝、今までのイメージを大きく覆された驚き、そんなのが一度にわき上がってきて、しばらく涙が止まらなかった。

結局、色んな人の助けがあったからこそ実現した今回のステレオを通して、私の生活は大きく変わっていっている。そして、まだまだ変わっていくんだろうなあ、という実感がある。ステレオを軽く見たきっかけもIIILZ、そして、逆に、時として生と同等の、いや、それ以上の音を出してくれるという、ステレオの魅力に気づかせてくれたのもIIILZだ、ということが、ちょっとおかしい。今、私が聴いているステレオから出る音は、トリガーでもなんでもなく、ストレートに私に音楽を聴かせてくれる。というより、それを脳内で装飾する余裕なんてないくらいに、ダイレクトに響いてくる。これは、生の演奏を聴くときのダイレクト感とはちょっと違っているものの、本質的には、そう変わらないものなのかもしれない、とさえ思う。

    • -

それにしても、私は恵まれている。こんな幸せ、ないと思う。