ブティックといっても・・

お昼休みに行ってきたブティックというのは、まあ、なんてことない、「TOMORROWLAND」。ターゲットの年齢層は、きっと私とはかけ離れているのだろうけれど、カッティングなんかは割とぴったり来る感じ(ただし、一番小さなサイズのみ)。「端正で洗練された」がコンセプトらしいので、今の気分には、いい感じかもしれない。

今までもベーシックなアイテムは調達したりしていたのだけれど、で、考えてみれば、そのどれもがロングランだったりして、殆ど10年くらい前に買ったシャツを今でも着ていたりすることに今気づいたけど、それって考えてみればすごいなあ。

思い出した。10年前だ。その頃、私は派手な大阪のねーちゃんで、白いロードスターにベルサーチミニスカ!みたいな感じの、あんた、職業なにさ、というやな感じの女の子(ん?もう当時の年齢からして、子、はダメかな)だった。で、まあ、職場では白衣なものだから、私服は何でもよくて、そういうスタイルしか手持ちになかった。そんな私に、大学院へ行く話が持ち上がり、受験も終わっていざ入学式、あら?何を着ていこう?んー、ま、式だし、スーツだな、と、適当なパンツスーツで出席。でも、それからが困った。仕事をしながらの大学院生活、一週間に一度、水曜日だけは朝からずっと大学にいなければならない、という形、あとは、診療後に研究室に行ったり、私の場合は職場と大学と自宅が近かったので、空き時間にちょっと行ったりというやり方で研究生活を送った。んで、問題は、大学に何を着ていくか、である。ベルサーチ?いやあ、そんな格好してる人いないよ・・と気づき、急遽、ベーシックなシャツとパンツ、そして、ローファーなんかを買ったわけで、実は今持っているコーチのグローブレザーのトートもその頃に買ったものだったりする。で、そのときに買ったシャツは、今でもお気に入りで残っているのも凄いなあ、と思う。でも、ベルサーチの派手派手大好きだった私がきっぱり止められるわけもなく、休日に研究室へ行くときなんかは、それほど人もいないし、そういうスタイルで行ってみたりしたのだけれど、運悪く誰かに見つかって、次の週に大学へ行くと大騒ぎの噂になっていたりしたことでうんざり、そこで全くのプライベート以外で派手なスタイルをすることを止めてしまった。そうだった、そこで私の地味好きが始まったんだった。懐かしいなあ。

で、社会人でありながらの大学院生活は、実は結構大変で、って、何が大変かというと、時間のやりくりも大変なのだけれど、それ以上に、新しいシステム(私は、社会人大学院生の一期生だった)に、周りの目が慣れていなくて、講座の幹部以外の人たちは、どーせ研究とかちゃんとしないで、適当に遊んで行くだけだろう、みたいな感じにとらえていたらしく、最初に、社会人大学院の人たちは別の世界の人、というような、仲間はずれ的な境遇にあったのが一番つらかった。結局、4年が終わったときに、無事、学位を取って卒業にこぎ着けたのは、1期生の30人ほどのうち、たったの2人だったということでわかるように、この制度は甘いモノではなくて、逆に、普通の大学院生たちがお昼にしていることを(まあ、実際はみんな夜型で、昼間はそれほど活動度が高くないのだけれど)夜や休日にして、どうしても昼間にしなければならない、例えばデータ録りだとか、そういうことは週に一回の研究日にして(私の場合は水曜日と、それに加えて木曜日=仕事が休みだから大学へ行ける日)にまとめてしなきゃならない、という厳しい境遇だった。でも、最初はよそよそしかった講座の人たち(特に若い人たち。さすがに私より年上の人たちは、物珍しさもあって、私に最初から親切だった人が多い)も、私があまりに研究室にべったりいるものだから、だんだんと社会人大学院生だということを忘れてしまったらしく、3年目に入るころには、「yどん(仮名)は、普通の大学院生だから」(だいたい、あだ名呼びだもんね、一応後輩だから)(あ、もちろん、私より後に入ってきた人は、後輩なのでyさんと呼ぶ)(この世界は、講座に入った順番で、年齢とか、そんなのは関係なく先輩後輩が本当は決まる)だとか、笑いながら言ってもらって、私はその時、実はとても嬉しくて涙うるうる状態だったのが懐かしい。

あれ?何の話だっけ。そうだ、ベーシックな服の話だった。で、ベーシックな服というのは、10年経っても着ているという自分に驚いた、という話から、遠くへ来ちゃったな。